2018年12月29日

冬大会

 冬大会が終わりました。参加者131名、交流会に80名もの参加があり盛況でした。特に目立ったのが、若い人たちがいっぱいいたということです。学ぼうとする人たちがいっぱいで、職場の若い人たちに失望していただけに、素晴らしい人たちばかりだと感心しました。
 私は2日目、井上先生の講座に出ましたが、自分の授業が変わりそうなヒントをいっぱいもらいました。「井上先生の運動会はどんなんだろう?」と興味深く参加しましたが、運動場にラインを引かない、カウントを数えない、合図を出さない、など運動会の常識を覆すことがいっぱいでした。その映像を観たのですが、これがまた秀逸。ダンス講習会で習ってきたことをそのままやっているようではいけないと思いました。ワシはあと2回しか運動会のチャンスがないのですが、一度やってみたいと思いました。その後の実技も楽しくて、子どもの動きを演技に結びつけるワークもして、時間が足らなかったです。大阪には、こういう創作運動会?の実践がないので、是非来てもらって実技指導を受けたいです。
posted by まんぞう at 19:14| Comment(0) | 日記

2018年10月28日

明治は良かった時代でもなさそう

この土日は、京都で開かれた部落問題について考える小さな集会に参加してきました。その帰り、二条城を通っていたら、門の入り口には「明治維新150年」という大きなパネルが掲げられてありました。今、「明治150年」というキャンペーンが政府主導で進められています。スポーツイベントを始めとする様々な行事で「明治150年」という冠がついているようです。「教育勅語の精神にも良いところがある」みたいな事を言う政治家がいます。しかし、教育勅語が作られた明治時代に疑問を投げかける書籍を読むと、維新を含め、明治時代がそんなに良い時代ではなかったと言うことがよく分かります。
『生きづらい明治社会』(岩波ジュニア新書)には「通俗道徳のわな」に明治の大衆がはまっていたと書かれています。「通俗道徳」というのは、自分が直面している困難を他人のせいにしないで、自分の責任としてかぶる思想のことで、この思想が明治時代に急速に広まったとされています。大衆がこのように考えることは、貧困対策に余計なお金を使わずに済むので、政府にとっては大変都合良かったようです。大金持ち(成金)になった人の中には、「たまたま」「偶然」があるのにも関わらず、それを努力や勤勉の賜としたのです。反対に、貧乏や貧しい生活をするのは、本人の努力が足りないからだ(自己責任)と考えられていたのが明治時代なのです。基本的人権や生存権という概念すらなかった時代です。そんな明治時代が良かったはずがないというのが著者の主張です。 
この通俗道徳は今の社会にも当てはるのではないかと私などは思うのです。自己責任という言葉が最近よく耳にするようになってきたのはその表れでしょう。今、学校では道徳が特別な教科として、子どもたちは学ぶことになっています。もちろん努力、勤勉は大切な事ですが、その道徳の目指す日本人像を明治時代に求めているとしたら、それはとんでもないことだと思います。
posted by まんぞう at 19:32| Comment(0) | 日記

2018年10月14日

教研集会

奈教組の教研集会があって、昨年のすもうの実践の報告をしてきました。低学年の分科会だったのですが、参加者の先生達からは、「けがをさせたらどうしようと思うので、身体接触のあるすもうだとか、マットなどの器械運動はなかなかできない」という声が聞かれました。私は、「ケガをするというのは系統的に段階を追って指導していないからであって、副読本に書いてある技をそのままやらせているとケガにつながるでしょう。そこには、何の技術的な指導もなく、子どもをふるいにかけているようなものです。」と答えました。体育は教科書がない代わりに副読本があります。最近では、シュートボールやフラフトが教材として出てきていますが、マットや鉄棒は考えものです。すぐに使えるように技の絵だけを例示して○×を記入するようになっています。系統的な指導もグループ学習もなく、これを多くの教師が使用しているとなると、問題ありだと感じました。ケガのことが出てくるとは思っていなかったので意外でした。
posted by まんぞう at 11:43| Comment(0) | 日記