2018年10月28日

明治は良かった時代でもなさそう

この土日は、京都で開かれた部落問題について考える小さな集会に参加してきました。その帰り、二条城を通っていたら、門の入り口には「明治維新150年」という大きなパネルが掲げられてありました。今、「明治150年」というキャンペーンが政府主導で進められています。スポーツイベントを始めとする様々な行事で「明治150年」という冠がついているようです。「教育勅語の精神にも良いところがある」みたいな事を言う政治家がいます。しかし、教育勅語が作られた明治時代に疑問を投げかける書籍を読むと、維新を含め、明治時代がそんなに良い時代ではなかったと言うことがよく分かります。
『生きづらい明治社会』(岩波ジュニア新書)には「通俗道徳のわな」に明治の大衆がはまっていたと書かれています。「通俗道徳」というのは、自分が直面している困難を他人のせいにしないで、自分の責任としてかぶる思想のことで、この思想が明治時代に急速に広まったとされています。大衆がこのように考えることは、貧困対策に余計なお金を使わずに済むので、政府にとっては大変都合良かったようです。大金持ち(成金)になった人の中には、「たまたま」「偶然」があるのにも関わらず、それを努力や勤勉の賜としたのです。反対に、貧乏や貧しい生活をするのは、本人の努力が足りないからだ(自己責任)と考えられていたのが明治時代なのです。基本的人権や生存権という概念すらなかった時代です。そんな明治時代が良かったはずがないというのが著者の主張です。 
この通俗道徳は今の社会にも当てはるのではないかと私などは思うのです。自己責任という言葉が最近よく耳にするようになってきたのはその表れでしょう。今、学校では道徳が特別な教科として、子どもたちは学ぶことになっています。もちろん努力、勤勉は大切な事ですが、その道徳の目指す日本人像を明治時代に求めているとしたら、それはとんでもないことだと思います。
posted by まんぞう at 19:32| Comment(0) | 日記
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