2017年11月12日

すもう前史

 同志会と出会う以前の話です。私は、病弱の養護学校の体育教師として教師がスタートしました。病弱の養護学校の子どもらは隣接する病院に入院しており、病院から養護学校に通じる廊下を通って登校していました。病弱の養護学校なので、子ども達は病気を持っています。病種別にクラスが分けられており、重度の障害を持った子ども、筋ジストロフィーの子ども、腎炎やネフローゼの子ども、喘息の子どもたちがいて、私は喘息の子どもたちの担任となりました。教科担任制を取っており、私は小学部の体育と中高の筋ジスの子どもたちの体育を担当していました。多くの子どもは登校できるのですが、重度の子どもと腎炎やネフローゼの子どもは、教師が病棟に行って授業を行いました。その中に、ネフローゼと他の病気を併発したY君という3年生の子どもがいました。
 1年生の時から4年生まで入院していたのですが、私がY君の体育をを受け持ったのは3年生の時でした。Y君は一年生からずっと安静の状態が続いていました。登校できないので、私が病院の病室に行ってベッドの横で授業をします。病室に入るときが大変で、白衣を着けて全身を消毒殺菌してから病室に入りました。Y君を初めて見たときはとても驚きました。3年生なのですが、薬のせいで太り、顔がむくんでいました。体育の授業を始めるのですが、病室で何を教えていいのかわかりませんでした。初めての日は、奈良県の体育の副読本を開いて、体育のことについて話すのですが、それもすぐに終わってしまいます。余った時間は他愛もない話をしながら終わってしまいました。困ったのは次の日からです。視聴覚室から、マットのビデオを見せたりするのですが、それも、すぐに終わって、そんな授業を繰り返していました。
 しかし、Y君の担任の先生の話では、Y君は体育の授業をとても楽しみにしてくれているというのです。というのも、Y君は運動の経験がなく、病室からもほとんど出られないので、体育の授業を受ける事自体うれしいようでした。いつも、授業が終わると、「先生今度何すんの?」と言って来ます。こんな情けない授業をして、申し訳ないなと思うのですが、当時はその時任せの授業しかできなかったのでした。(つづく)
posted by まんぞう at 18:54| Comment(0) | 日記
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